(放射線科)
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2016年10月10日、長崎旅行にて明治日本の産業革命遺産のひとつ
軍艦島上陸ツアーへ参加してきました
軍艦島の正式名称は端島。長崎港から南西約18kmの海上にあり、
面積は約6.3ha、周囲約1.2kmと小さな島です
明治23年(1890)に本格的な海底炭坑として操業を開始し、
約100年にわたって日本のエネルギーを支え続けてきました
採炭量の増加に伴い人口も増加、最盛期の昭和35年(1960)には5,300人強が住んでいました。
当時の人口密度は日本一、一人あたりの広さは10m2という計算になるようです
島には当時最先端の住居や小中学校や病院、商店、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設まであり、
生活はすべて島内でまかなえるようになっていました
繁栄を極めた軍艦島でしたが、主要エネルギーであった石炭がその座を
石油へと移ることにより衰退の一途をたどります
昭和49年(1974)1月に閉山、同年4月に全ての住民は島から離れ無人島となりました。
当時のままの姿で無人島になった軍艦島は、廃墟でありつつも、
日本の近代化を支えたエネルギー変革の歴史を肌で感じることが出来ました
興味のある方は一度は訪れてみてはいかがでしょうか
(薬剤科)
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新病院に移転して1ヶ月が過ぎました
10月1日より衛生士も3人になり、
これからますます摂食機能療法・口腔ケアに
力を入れていきたいと思います
各病棟でも多職種と協力して頑張っていきたいです。
よろしくお願いします
(歯科衛生科)
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10月半ばも過ぎてまだ暑い日もあれば、
寒い日もあって体調を崩しそうですが、
なんとか、耐えています
新病院に変わって業務がやりやすくなったことや、
やりにくくなった場合もあります
まだまだ、慣れない部分ありますが、
今の病棟メンバーと協力して
乗り切っていけたらなと思います
とりあえず、病院がキレイなので、
壁など傷つけないようにしようと思います
(6階病棟)
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2016年10月1日新病院への移転が行われました
荷物の引越しや片付けが大変でしたが、無事終了しました
さて、新しい透析センターの写真を載せるのが王道ですが、
今回は、あえて透析機械室の『全自動溶解装置 DAD』
長年の経験話になりますが、昔は朝出勤して200Lタンクに水を入れ、
変なプロペラのついた攪拌装置で溶解し、10L透析液ボトルが2本入った箱を運んできては
1日に何回も補充していました。最近は、パウダー化され随分楽にはなりましたが、
溶解装置の管理が大変でした
それが!ボトルを置くだけ
ボトルを置き、ボタンを押すと回転すしのようにレーンが動きます
黄色と黒の工事現場にあるマークが見えます。工場のようです
「でた、刃物注意!」赤字です。
実際の溶解工程を見ると「おー」、です。
(最近は、見慣れたので「おー」はでません」
溶解ボトルは刃物で分断され・・・
このように、でてきます。
これを業務終了後、片付けるのが日課です。
自動化でいろんなことが「おー」でしたが、
この分断されたボトルが溜まってくると、「あー」がでます・・・。
ですが、頼もしい装置です
(透析センター)
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はじめまして
8月末から地域連携部に所属しています
ご迷惑をお掛けするかと思いますが
精一杯頑張りますので、よろしくお願い致します
さて
9月28日に新病院の竣工式、内覧会がありました
7階のリハビリ室は竣工式仕様です
非常に沢山のお祝いのお花や植物をいただきました
お送りいただきました皆様誠にありがとうございました
竣工式には大和ハウス工業福山支店様を始め多くの関係各位の方にご出席賜りました
竣工式終了後内覧会をさせていただきました
写真はリハビリハウスご案内の様子です
バリアアリーの仕様となっています
下の写真はドライブシュミレーターやユニバーサルコアフレーム等
最新のリハビリ用具をご説明している様子です
竣工式、内覧会共多くの方々にお越しいただきました。
病院も新しくなり心機一転頑張ります。
(地域連携部)
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